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卒業の証は母校の寄付願い                

東京学芸大学が国立大学法人として、独り歩きを始めて1年と7カ月。我らが母校も2004年4月をもって、東京学芸大学教 育学部附属高等学校から現在の東京学芸大学附属高等学校の名称に変更された。無論、変化は校名の変更に終わらない。

これからは文部科学省の拘束から開放され、独自に学校経営ができる。校長はじめ先生方、事務方は新しい取り組みに意欲満々 だが、初めて経験することに戸惑うことも多いそうだ。

その一つが、学校経営に欠かせない「お金」の問題。これまでは、充分と言えないまでも必要なお金は国の予算で裏づけされ、 自ら工面 することはほとんど無かった。が、これからは自助努力で解決しなければならない。

予算獲得のため、東京学芸大学経由で文部科学省へ働き掛け、あるいは保護者へ負担増のアピール…。しかし、それだけでは十 分満足いかない場合が出てくる。 そろそろ、私たち社会人になった卒業生にも、出番が回って来たようだ。

ある友人と話している時、ふと思い出したのが昨年2月に某新聞の川柳欄に載っていた一句。“卒業の証し母校の無心状”。思 わずにやりとしたものです。その友人は私立の高校・大学一貫校だったので、卒業後もなにかあると寄付の要請が来たとか。「こんな寄付が来るのも卒業できた から、と親はありがたがっていたけど、今は恩返しのつもりで寄付に応じてる」と笑っていたっけ。

我が母校は国立だったせいか、こうした寄付の要請はほとんどなかった。しかし、これからは、母校からの寄付要請を覚悟し協 力していく、そんな時代になった ようです。

母校の校舎は昭和10年(1935年)に建設され(ワォッ、1期生さえ生まれていなかった!)、青山師範学校、戦後は東京 学芸大学校舎として使用され、昭和37年から附属高校校舎となり、70年の歴史のうち43年を母校が使用している(会報『泰山木』20号に校舎のことは詳 しく紹介されている)。

建設当時は、まばゆいばかりのモダンにして最新設備を完備した校舎だったことだろう。

しかし、70年を経た今日、あらゆるものが古くなっている。古くなったゆえに価値が出たものも多々ある。キンキラキンのス テンレスとガラスの近未来志向ビルにはない、人のぬ くもりや人間臭さ、様々な人々の想い出と歴史を伝える光と影、どっしりとした重量 感が醸す安心感、安らぎ、懐かしさ… しかし、しかしです。こうしたメンタルな素晴らしさを「無」にしかねないのが、設備の老朽化。特に“被害甚大”なのが、暖房設備(冷房設備は建築当時から 一貫して無し)。余りの古さにすっかり傷んでしまい、もうだいぶ前から暖房機能はストップしている。

後輩からこんな話を聞いた。

「23期の時代は、窓枠がきっちり締まらない、力いっぱい閉めたらガラスが割れたり、窓枠ごと外れたり・・・」。“仕方な し 窓枠あれど ガラスなし”が通 常の状態で、教室の「寒さ」には強烈な印象がいまなお残っている。「人類が棲息できる場所じゃなかった(!)」(現在医師)と、ユーモアを交えて懐古談を 聞かせてくれた。

さらに夏の熱暑が今の生徒諸君を襲う。夏休み前、梅雨のころから、昨今のヒートアイランド現象とやらで、教室は蒸し風呂状 態。

「今どき冷房設備のない高校は、ウチの学校だけなんだってさ」とは、教育関係の仕事をしているOBの情報。

「教室は赤道直下の熱帯並み」(経験したのでしょうか!?)と嘆く現役生もいるとか。かつては開け放した窓から、緑の涼風 が吹き抜けた母校校舎の教室だが、今では湿気と熱気を帯びた空気が支配している。 「辛夷祭」準備で登校する生徒の多い8月、窓を開けて使用したあとの、戸締後の天井放射温度データを見せてもらった。2A〜C、3A〜Hの教室は34.0 度〜38.1度(2005.8.8 16:10〜16:20測定)。このとき物理の3室(教室・研究室・実験室)は37.1度〜38.5度(同日15:50測定)。“机が熱い”と報告書に書 いてあった。 “夏の物理は命がけ 日陰でかかる熱中症”とは良く言い当てたものだ。

若いんだから我慢せい、みんな経験してきたんだ、そうして逞しくなった…、というご意見もあろうが、都市環境の大きな変化 は、「時代の違い」を明確に示していることも確かだ。

現状の空調環境の話を聞くにつれ、勉強に集中できるように快適な環境で学ばせてやりたい、苛酷(!)な環境に耐えている現 役生諸君に涼しい“追い風”を 送ってあげたい、と思うのは、自然な感情だと私は思う。

今母校では、冷暖房設備の更新・充実に向けて準備を進めていると聞く。もちろん、建築関係、電気・ガス関係の保護者・卒業 生が、設計や機器の選定・配置、 見積もりの査定等々に、様々に協力している。そうした能力・労力面 での協力と同時に、経済面での協力も、OBに期待されていることだと思う。

かつて私学に較べ安い授業料で高度な教育を受けることの出来た卒業生として、母校に恩返しをする時が来ているのかも知れな い。「別 に学校から恩を受けた覚えは無い。生徒個人の能力で勝ちえた成果…」という意見も聞く。それも良し!そのうえで、これから続く後輩たちのためには、今の老 朽設備の更新・改善は必要且つ欠くべからざることだと思う。

母校は、去年から “存”も“亡”も自己責任となる独立法人になった。 学校は先生(T)と保護者(P)を核に、OBGを含む多くの関係者の積極的な支援なしでは立ち行かない環境になった、と思う。我々卒業生の自主的な参加 を、時代が求めている、なんて理屈づけている私です。

今は膝の上で無邪気に飛び跳ねている孫も、いずれ高校生になる。そんな時、やっぱり母校に進んでほしいし、我が後輩になっ てほしいと思うと、今の冷暖房環 境の悲劇的(!)な状況は、放ってはおかれません。時代だ何だと大げさなことを言いましたが、本音は、私たちの学んだあの環境と伝統を、孫の代まで引き継 いで行ってほしいし、そのための環境づくりが必要ならば、出来る範囲の出来ることで、協力して行きたいと思う。

“卒業の証は母校の寄付願い”と、新聞の川柳を自分なりに作り変えてみました。さて、ざぶとん貰えるでしょうか?

*川柳は、04.02.15朝日川柳(静岡県池田徳)からの引用です。

2005年11月6日更新